タゴールの詩と祈り その1


インドの詩聖タゴールはヒンズーの宗教的な背景のもとに多くの優れた詩を残
していますが、その詩の中から「祈り」の形式をとったものがいくつもあり、
それらはキリスト教的な祈りとしてもとても優れているものです。その中から
いくつかを拾ってみましょう。

危険から護られるように祈るのではなく、恐れることなく、直面しよう。
私の苦しみの納まることを願うのではなくそれを克服する心をこそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのではなく、われわれ自身の力をこそ求めよう。
すくわれることを心配しながら求めるのではなく、わたしの自由を勝ち取る忍
耐をば望もう。
わたしが、自分の成功のためにのみあなたの慈悲を当てにする卑怯者ではなく
、わたしの失敗の中にあなたの手の握りを発見する勇者でありますように。
  「果物採取」より

この詩はキューブラ・ロス著の「死ぬ瞬間」という古典的な名著の第1章「死
の恐怖について」の扉に引用されていた詩です。ロスはこの書の章のはじまり
の扉にタゴールの文を引用しています。
わたしをしてタゴールの詩に関心を呼び起こさせたのはこれらの引用文であり
、取り分けてこの第1章の扉の詩でありました

「べてるの家」の「降りていく生き方」


2つの本を紹介します。

「降りていく生き方 ー『ベテルの家』が歩むもうひとつの道」横川和夫著 
太郎次郎社
「変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから」清水義晴著 太郎次郎

ともに北海道浦河にある精神障害者の施設「べてるの家」を紹介しています。


べてるの家」は浦河赤十字病院の精神神経科を退院した、あるいは入院中の
メンバーたちが運営し、日本キリスト教団浦河教会の旧会堂を拠点に活動をし
てきました。日高昆布の袋詰めや浦河赤十字病院の清掃、食器洗い、配膳など
の多彩な仕事をこなし、2002年には社会福祉法人となりました。
浦河病院の医師やソウシャルワーカー、あるいは浦河教会の牧師さんたちのバ
ックアップの元に作られていますが、この社会福祉法人の理事長も常務理事も
事務局長もみな精神障害者なのです。精神障害者が「当事者として」運営して
いるのですね。

べてるの家」を紹介するときは川村医師やソウシャルワーカーの向谷地さん
とともにかならず「べてるの家」のメンバーが同行し、彼らが自分の障害との
関わりについて「体験報告」をします。
「自分は統合失調症です」とか「躁鬱病の○○です」とかいうところからはじ
まるわけです。暴力をふるったり、幻聴や妄想にとらわれたり、引きこもりに
なったり、という壮絶な内容の話なんだけれど、それを客観的に冷静にしかも
時にはユーモアを交えて話すわけですね。
時には精神科の医師の学会で医師や社会福祉の関係者の前で報告したりするわ
けです。
それらを自分たちでビデオにしたり、本にしたりして、配布することもはじめ
ます。そのビデオのタイトルは「Very Ordinary People」(ごくふつうのひと
びと)だったりする。そのビデオの編集をしたのが、もう1冊の本の著者だっ
た清水義晴さんでした。
清水さんは「えにし屋」という屋号で全国を飛び回り、「まちづくりコーディ
ネーター」として各地のまちづくりNPO活動を支援し、横のつながりを作
り出す役割を果たしている。かれは「町作り」という観点から浦河という町と
べてるの家」の関係に注目して「変革は………」という本で紹介しています

べてるの家」ではしばしばカンファレンスという話し合いがメンバー同士で
行われます。入院中のメンバーも含めて、医師、ソウシャルワーカー、看護婦
も参加して、メンバーの体験を聞くことから始まるのですね。あるひとは「爆
発学」について自分の「キレた」体験を話します。
アルコール依存症の人がAA(Alcoholic Anonymous)という自助グループ
作っているのにならってSA(Schizophrenics Anonymous)とも呼んでいます
。AAには「12のステップ」という更正のステップがあるけれど、SAにも
同じような「8つのステップ」があります。

その第1のステップは「私は認めます」「私には仲間や家族、さらには専門家
の必要なことを認めます。私ひとりでは回復できません」であり、第5のステ
ップは「私はゆるします」「私は、今までしてきた自分の過ちをゆるし、弱さ
を受け入れます。同時に私は私を今までさまざまな方法で傷つけたり、害して
きたあらゆる人をゆるします。そして、私自身をそれらのとらわれから解放し
ます」というものです。
ステップ8は「私は伝えます」「私は精神障害という有用な体験を通して学ん
だ生き方を、メッセージとして仲間や家族、そして社会に伝えていきたいと思
っています。

「降りていく生き方」の第4章「しあわせは私の真下にある ー『治る』より
も豊かな回復ー」に紹介されているカンファレンスの様子はとても興味深いも
のです。
この集まりの中心は「襟裳岬に宇宙船が到着して、職場にいた片思いの女性が
それに乗船して、宇宙旅行に行こうという誘いの幻聴をうけている」という患
者でした。メンバーたちはこの患者にいろいろな質問をしたり、自分の幻聴体
験を話したりしながら、時には腹を抱えて笑ってやりとりをしながら、何とか
思いとどまらせようとしているのです。しかし、誰も「それは幻聴が、そんな
ことはあり得ない」というようには説得していないのですね。いったん患者の
いうことを受け入れて、その話をよく聞き、患者と同じ当事者の立場に立って
考えているわけです。

「自分は病気を治せない医師です」
「治すことばかりにこだわらない医者です」
「カンファランスとは自分の助け方を学ぶのを手助けをすることである」
「この病気は友達が増える病気である」
「自分の思いや気持ちを言葉にすることが回復につながっていく」
「幻覚&妄想大会」
「医者が一生懸命やりすぎるとよくならない」
「失敗とトラブル抜きには回復しない」
「当事者性を奪われているのが、統合失調症などの精神障害を抱えた人たちで
ある」
「日本の学校教育が生徒の当事者性をいかに奪ってきていたか」
「成功を目指さないことを目指す」
「異質なものを排除しない」
「利益のないところを大切にする会社を作りたい」
「物事が順調に進むというのは危機的状況」
「すぐに手助けしないというサポートの仕方」
「弱さは価値、トラブルは恩寵」

これらの本にあった逆説的な表現そのものが「べてるの家」をよく表している
でしょう。
「これまでの中央偏重、右肩上がりの成長志向、学力重視、優勝劣敗の社会観
にもっとも痛烈なアンチテーゼを結果として突きつけているのがこの「べてる
の家」ですが、そこに暮らし働く当のメンバーたちはそんなことにおかまいな
く、「弱さ」を絆とすることによってささやかなしかし実り豊かな人生をこれ
からも送り続けていくでしょう。」
 これこそ「もうひとつの生き方」なのでしょう。

「あしあと」という詩をご存知ですか?

「あしあと」という詩をご存知でしょうか。

Footprints という詩で、マーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性
の作った詩です。
「あしあと 多くの人を感動させた詩の背後にある物語」(太平洋放送協会刊
 1996年)に掲載されています。
まずその詩を紹介いたしましょう。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

ついでに英語の原詩も紹介します。

Footprints

One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there
is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."
He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."

いかがでしょうか。
クリスチャンではない方には違和感が残るかもしれません。
でもそれを乗り越えて、じっくり味わって感じたことをお教えください。
不思議な慰めといやしを与えられる詩だと思います。

この詩を初めて読んだのは、もう20年も前のことでした。
この詩は確か作者不詳となっていたと思います。
不思議に心に残る詩でした。
それから何度この詩に出会ったことか。

「あしあと」というこの本を読んでなぜこの詩が多くの人の感動を呼び起こす
のか、少しわかった気がするのです。
こんな話しが紹介されていました。

夫(ポール)が事故で重傷をおい、集中治療室で寝ていたときに、朝早く看護
婦がやってきて夫に尋ねました。
「パワーズさん、あなたと奥さんと娘さんのために、祈らせていただいてよろ
しいでしょうか」
ポールがうなずきましたので、看護婦は祈りました。
祈り終わったあとに、詩を書いたカードを取り出し、夫の手を握って静かに次
の詩を読みました。

看護婦は読み終えると、夫を見つめていいました。「私はこの詩の作者を知り
ません。作者不明なのです。」
ポールは弱々しく手を上げて言いました。「私は知っています。作者を知って
います。」
看護婦はクスリのために意識がもうろうとしているのだと思いました。しかし
、ポールはもう一度言いました。
「私は作者をとてもよく知っています。……私の妻です。」と。

この詩は1964年に書かれた詩なのですが、その後、引っ越しのときに間違
って配達されて行方不明になってしまった荷物の中に入っていました。それが

つのまにか誰かの手によって「作者不詳」ということで発表され、有名になっ
てしまいました。
それがこのような形で作者の夫を励ます詩となって作者に戻ってきたわけです

私は目覚まし時計を2度鳴らす


 低血圧の私にとって、朝起きることは大変な闘いであった。少しでも寝てい
たいという気持ちと早く起きなければ遅刻するという義務感との葛藤を、毎朝
繰り返してきた。
 5分ごとになる目覚まし時計をセットしていたので、ベルが鳴るごとに闘い
をする。多くの場合、早く起きなければならないという意志は、もう少し寝て
いたいという欲望の前にあえなく敗北をきす。そして最後の最後になって、や
っとの思いで唯一の勝ち星をあげる。つまり、私の朝の闘いは常に1勝何敗か
で、圧倒的に負け数の方が多い。このような敗北感から始まる朝を私はこれま
で何度繰り返したことであろうか。
考えてみると、これではあまりに自分がかわいそうだ。精神衛生上もいいはず
がない。ある時ふと思い立って、発想を変えてみることにした。目覚まし時計
は起きるべき時間の20分前に予鈴を鳴らし、そして起きるべき時間に本鈴を
ならすというように2回鳴らすことにした。そして1度目の予鈴の意味は「あ
と20分寝てもよい」ということにしようと心に決めたのである。
 すると、なんと、幸せな20分間がそこに現出したのである! 1度目のベ
ルをとめながら「あと20分寝られる」と自分に言いきかせ、残り少ない睡眠
時間を心ゆくまで楽しむ幸せを味わうようになった。これまでだったら、この
時間はあっという間に過ぎる睡眠時間の一部にしか過ぎなかったし、しかもそ
れは苦痛と敗北の時間であった。それが、全く逆の意味をもつ幸せな時間に変
容したのである。
 これは大発見、いや大発明(どっちでもいい)ではないか。人がなんと言お
うと、わたしには一生のうちで私の生き方をかえる大発見であり、大発明であ
る。こんな些細な「発想の転換」で今まで味わうことがなかった幸せな時間を
創出することができたのだから。
 20分がいいのか、それとも30分がいいのか、あるいは1時間がいいのか
、いろいろと実験をしてみたのだが、あまり長いと深く寝入ってしまい、その
効果はないし、短かすぎるとほとんど幸せを感じることはできない。このあた
りは人によって多少は異なってくるのであろうが、私の場合には20分の時が
もっとも幸せ度が大きいようである。
 そして更に不思議なことには、2度目の本鈴でも闘うことなく、すっと起き
られるようになり、目覚めもこころなしかよくなったようである。
 「大発見だ、大発明だ」と得意になっていう私に、口の悪い友人は「すっと
起きられるようになったのは、何のことはない、年のせいじゃないの? 男は
50過ぎると、朝自然に目がさめるようになるのだそうだよ」と、私のおめで
たさを祝福してくれた。

ご褒美は成績の一番悪い子にあげよう

この1節だけでこの本を読んでよかったと思わせる本が 

あります。
それは、女優の永岡輝子さんの「父からの贈り物」(草想社 1984年刊)とい
う本の中の一節でした。
引用します。

 学期末、通信簿を渡される日はほんとうにつらかった。兄も姉も妹も、みん
な成績がよかった。ことにみいちゃんは負けず嫌いで、一番でなければ絶対承
知できなかった。ところが私はいつも中の部でとびきりよいのはひとつもなか
った。父は子どもたちの成績表を見ると
「一番成績の悪い子にご褒美をあげよう。一番つらい思いを我慢しているのだ
からね」
と言った。私はまったくそのとおりだと思うと、父の心遣いにまたベソをかい
てしまうのだった。父は兄の顔を見ると「勉強しなさい」と言っていたが、小
学生の私にはなにも言わなかった。

映画女優の文章というのは、高峰秀子さんや富士真奈美さんなど名文が多いの
ですが、これもその中に加えられるものです。

教えるものとして、本当はこうありたいと思うのですが、なかなかこうはいか
ないところがつらいところです。
担任として成績表を配るときに、この話を紹介して「わたしも本当はご褒美は
一番成績の悪い子にあげたい」と言ったことがありますが、生徒からは何の反
応もなかった……………。
教員としていってはいけないことだったのかも……………。

空からひらひら落ちてくる


私が子どもだったころ、よくセスナ飛行機やヘリコプターから、宣伝広告のチ
ラシをまくことがありました。今ではこれは禁じられています。なぜこれが禁
じられたかというと、これは子どもたちにはたまらない魅力だったようで、も
う矢も楯もたまらずに本能的に追いかけていって危険だからでした。木に引っ
かかると木に登って取ろうとする。もうどこまでも追いかけていくのです。
何の変哲もない大売り出しの宣伝広告にすぎないのですが、空からひらひら落
ちてくるとそれを追いかけたくなるのです。
こねこが動いているものを追いかけ回してじゃれるように。

第2次世界大戦で戦死した一ロシア人兵士の祈り


こんな詩(祈り)を見つけました。誰の作で出典は何かわからないのですが、
とにかく胸にじ〜んときました。

第2次世界大戦で戦死した一ロシア人兵士の祈り

聞いてください、神さま。
今まで、ぼくはあなたに話しかけたことなど一度もありません。
けれども、今、あなたに何かを訴えたいのです。
子どものころから、ぼくは、あなたなんかいないと聞かされてきました。
愚かにもぼくはそう信じてきました。
今まで一度もあなたのみ業について考えたことがありませんでした。
でも、今夜、頭上にきらめく星を眺めていて、人の残酷さに気がつきました。
神さま、あなたの手をぼくの上においてくださるでしょうか。
とにかくぼくはあなたに語りかける、あなたは分かってくださる。
光がぼくに出会うのは別に不思議ではありません。
ぼくはこの呪わしい夜にあなたに対面しています。
もういうべきことはありません。
とにかく、あなたを知ることができてうれしいのです。
真夜中、ぼくの隊は出撃の予定です。
でもあなたがごらんになっているので怖くはありません。

合図です。もういかなくては。
あなたと一緒で幸せでした。
もう一つ言わせてください。
あなたがご存じのように、闘いは激しく、今晩ぼくはあなたのドアをたたきに
行くか
もしれません。
今まで、ぼくはあなたの友ではなかった。
それでも今夜。ぼくが行ったら中へ入れてくださいますか?
どうしてぼくは泣いているのでしょう。
神さま、あなたはぼくに何が起こったのかお分かりですね。
今晩、ぼくの目は開かれたのです。
さようなら、神さま。
もう行かなくてはなりません。
たぶん生きては帰れないでしょう。
おかしいのでしょうか、ぼくはもう死を恐れてはいないのです。