究極の選択

だいぶ前のことですが、ある新聞の記事を読んでいたら、俵万智さんが次のようなことが書いていたのが目にとまりました。
「(結婚する相手を選ぶときに)この人とだったら苦労しないでいいという人を選ぶか、それともこの人とだったら苦労してもいいという人を選ぶか、むろん後者だと思う。」
これは確かに「究極の選択」ですね。

これは、結婚する相手の選択だけに限らず、「自分の進路」や「自分の生き方」を選ぶときにも言えるでしょう。
「この道だったら苦労しなくてもいいという道を選ぶか、この道だったら苦労してもいいという道を選ぶか」
人間にはこの2つの選択がいつもあるように思うのです。

多くの場合、私たちは前者の「苦労しなくてもいい」という道を選んでしまいます。
でもそこをあえて「苦労してもいい」道を選んでいきたいものだと自分に言い聞かせています。

そういえば都々逸に

苦労する身は何いとわねど、苦労しがいのあるように

というのがありました。
これもいいですね。
「苦労しがいのある」生き方というのはどういうのでしょうか?