「賢者の贈り物」(The Gift of Magi)とは何か

 

賢者の贈り物
 「東方の3人の占星術師は黄金と没薬と乳香とをたずさえてベトレヘムを訪れた」という話しを読
んで思い出すもうひとつの話しは、オー・ヘンリーの傑作短編集「賢者の贈り物」( The Gift of
Magi)」というすぐれた作品である。よく英語の教科書で取り上げられたりするので、ご存知の方も
多いであろう。

 『賢者の贈り物 The Gift of Magi』については,青空文庫の次のURLから作品がダウンロード
するとよい。
 ツヴェルガーの絵による絵本もある。(富山房 1200円)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000097/card536.html


 仲の良い貧しい若夫婦がいた。明日がクリスマスなのに家の蓄えはわずか1ドル87セント。お互
い,愛する夫や妻のためにプレゼントを買ってあげたくても貧しくてお金がない。
 ところで,この夫婦がそれぞれ大切にしていた宝物が二つあった。妻デラは長い髪の毛。夫ジムは
金時計。
 妻のデラは,夫のために贈り物として時計鎖を買う。それも人がうらやむ自慢の髪の毛を売ったお
金で。
 一方,夫のジムは,金時計を売ったお金で,妻の髪に飾る櫛を買う。二人はもっとも大事なものを
売って、相手のための贈り物をかうのだが、皮肉なことにすれちがってしまう。
 O.ヘンリーはこの短編を次のようにおえるのである。

「贈り物をするすべての人の中で,この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべて
の人の中で,この二人のような人たちこそ,最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても,こ
のような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ,本当の,東方の賢者なのです。」

 この話を読んで、一体なぜこれが「最高の賢者」なのか、そしてどうしてこれが「東方の賢者
(Magi)」なのか? 考え込んでしまう。オー・ヘンリーはこの話でなにが言いたかったのだろうか
? 

 授業で、このことを中学生や子どもちに聞かせたことがあるが、この問まで踏み込めなかった。け
っこうこれには子どもには子どもの、中学生には中学生の、そして大人には大人の答えがありそうで
ある。
 正解が唯一でなく、己がじし自分の答えをもてるところがとても福音的な話しであると思う。

 その前に、「もっとも嬉しい贈り物はなにか?」「もっともありがたい贈り物は何だったのか?」
ということをふり返るのもいいと思う。

Posted by mrgoodnews at 12:16 |Comments(1) |TrackBack(1) | 福音 , 本、映画など感動のメ
ディア
「東方の3人の賢者」の他に「4人目の賢者」がいた。
 教会では今日「主の公現」の祝日である。この日教会ではマタイ福音書の2章1〜12節が読まれ
る。
 「東方の3人の占星術の学者(マギー)が星に導かれて、黄金と没薬と乳香とをたずさえてベトレ
ヘムの馬小屋を訪れる」という話しである。

 
4人目の賢者
 この話しを聞いて思い出す二つの話しがある、
 一つはヴァン・ダイク原作の「4人目の賢者」の話しである。クリスマス劇でしばしば取り上げら
れ、マーチン・シーン主演の映画のビデオもある。
 3人の東方の占星術の学者たちがベトレヘムを訪問したときに実はもうひとりの学者アルタバンが
いた。彼は約束の時間に遅れ、3人の一行には加われなかったが、なぜ彼が遅れ、そしてその後どう
したのかということで物語が進行する。
 彼は「救い主」の誕生を知り、全財産を売り払って贈り物とする宝石を買い、巡礼の旅に出た。し
かしその途上出会う病人を助け、親身に他人とかかわっていくうちに、いつしか時が過ぎ、「救い主
」は処刑寸前のところであった。だが、老いて病む彼には「救い主」のもとに駆けつける力も贈り物
も、もはや残ってはいない。
 失意のうちに息をひきとろうとするその瞬間、復活のイエス・キリストが彼の前に現れる。
 彼はイエスに「遅すぎました。もしもっと速くついていたなら………。」と泣きながら謝るのだが
、「私はおまえに何度も会っている。なぜなら貧しく小さなものたちは私なのだから」とアルタバン
を慰め、彼を天国に連れて行く。

 こういう話しである、けっこう感動的である。

 もう一つの話しは「賢者の贈り物」オーヘンリー著であるが、これについてはまたページを改めて
述べることにしよう。