魂の陳述(叫び)


 次の三つの旧約聖書の箇所を読んで、その共通点を考えてみよう。

 1.エレミヤ記 20章7〜9、14〜18節  
 二、ヨブ記   30章1〜31節
 三、詩編    89章20〜52節

 エレミヤは「嘆きの預言者」ともいわれている。彼は自分が人々の前にたち神の言葉を民衆に伝え
ることがイヤでいやでしょうがなかった。でも彼は毎日町に出ていって、神の言葉を伝える。「主の
言葉は私の心の中、骨の中に閉じこめられて火のように燃え上がる」のである。その結果、人々から
はあざけられ、石を投げられる。彼は自分が生まれてきたことをも呪う。

 ヨブは、悪魔の試しにより苦しみのどん底に落とされる。それでも彼は神を呪うことをしなかった
が、励ましにやって来た三人の友人たちと話しているうちに激論となり、最後には神に向かって叫ぶ
。「あなたはなぜこれだけ叫んでいるのにお応えにならないのか? なぜ私はこのように苦しまねば
ならないのか?」そしてヨブは語り尽くす。

 詩編89章の場面は「つまずきの場面」としてこの箇所を黙想することを昔は禁じられていたとか
。実はここでは神の約束違反を訴えているのである。「いつまで主よ、隠れておられるのか? 主よ
、真実でもってダビデに誓われたあなたの慈しみはどこにいってしまったのか?」と。「これほど神
に対等に祈りをしている所は他にない」とユングもいっているくらいである。