英語で言うなら
You can because you ought.
日本語で言うなら
「あなたはしなければならないからできる」
逆だったらわかりやすいかもしれない。
「あなたはできるからしなければならない。」
あなたはそのような能力が与えられているのだからしなければならない。
でもこの言葉は違うのである。
これもキリスト教的な逆説であるだろう。
つまり、神さまはあなたのできないことをお命じにはならない、神さまがあなたにそれをしろと命じ
られたのだから、あなたにはその力が必ず与えられるという{信仰」の表現なのである。
考えてみたら、キリスト教の宣教師たちはこの言葉を信じて全世界へと宣教に派遣されたのである。
聖書には、この言葉に励まされて、派遣された多くの預言者をはじめとする人物が多数登場する。
神の呼びかけに応えて、遣わされた人たちは、皆この言葉を信じたのであろう。
聖書のアブラハム、モーゼ、イザヤ、エレミヤなど、マリアもペトロもパウロも、シュバイツアーも
マザー・テレサもみんなこの言葉を信じて、自分のもっている以上の能力を発揮したのだと思う。
彼らは、能力があったから選ばれたのでは決してなかった。呼びかけられたときには、それができる
能力はほとんど持たなかったと言えるかもしれない。
それができる能力はあとから神さまがお与えになったのだと思う。