「べてるの家」の「降りていく生き方」


2つの本を紹介します。

「降りていく生き方 ー『ベテルの家』が歩むもうひとつの道」横川和夫著 
太郎次郎社
「変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから」清水義晴著 太郎次郎

ともに北海道浦河にある精神障害者の施設「べてるの家」を紹介しています。


べてるの家」は浦河赤十字病院の精神神経科を退院した、あるいは入院中の
メンバーたちが運営し、日本キリスト教団浦河教会の旧会堂を拠点に活動をし
てきました。日高昆布の袋詰めや浦河赤十字病院の清掃、食器洗い、配膳など
の多彩な仕事をこなし、2002年には社会福祉法人となりました。
浦河病院の医師やソウシャルワーカー、あるいは浦河教会の牧師さんたちのバ
ックアップの元に作られていますが、この社会福祉法人の理事長も常務理事も
事務局長もみな精神障害者なのです。精神障害者が「当事者として」運営して
いるのですね。

べてるの家」を紹介するときは川村医師やソウシャルワーカーの向谷地さん
とともにかならず「べてるの家」のメンバーが同行し、彼らが自分の障害との
関わりについて「体験報告」をします。
「自分は統合失調症です」とか「躁鬱病の○○です」とかいうところからはじ
まるわけです。暴力をふるったり、幻聴や妄想にとらわれたり、引きこもりに
なったり、という壮絶な内容の話なんだけれど、それを客観的に冷静にしかも
時にはユーモアを交えて話すわけですね。
時には精神科の医師の学会で医師や社会福祉の関係者の前で報告したりするわ
けです。
それらを自分たちでビデオにしたり、本にしたりして、配布することもはじめ
ます。そのビデオのタイトルは「Very Ordinary People」(ごくふつうのひと
びと)だったりする。そのビデオの編集をしたのが、もう1冊の本の著者だっ
た清水義晴さんでした。
清水さんは「えにし屋」という屋号で全国を飛び回り、「まちづくりコーディ
ネーター」として各地のまちづくりNPO活動を支援し、横のつながりを作
り出す役割を果たしている。かれは「町作り」という観点から浦河という町と
べてるの家」の関係に注目して「変革は………」という本で紹介しています

べてるの家」ではしばしばカンファレンスという話し合いがメンバー同士で
行われます。入院中のメンバーも含めて、医師、ソウシャルワーカー、看護婦
も参加して、メンバーの体験を聞くことから始まるのですね。あるひとは「爆
発学」について自分の「キレた」体験を話します。
アルコール依存症の人がAA(Alcoholic Anonymous)という自助グループ
作っているのにならってSA(Schizophrenics Anonymous)とも呼んでいます
。AAには「12のステップ」という更正のステップがあるけれど、SAにも
同じような「8つのステップ」があります。

その第1のステップは「私は認めます」「私には仲間や家族、さらには専門家
の必要なことを認めます。私ひとりでは回復できません」であり、第5のステ
ップは「私はゆるします」「私は、今までしてきた自分の過ちをゆるし、弱さ
を受け入れます。同時に私は私を今までさまざまな方法で傷つけたり、害して
きたあらゆる人をゆるします。そして、私自身をそれらのとらわれから解放し
ます」というものです。
ステップ8は「私は伝えます」「私は精神障害という有用な体験を通して学ん
だ生き方を、メッセージとして仲間や家族、そして社会に伝えていきたいと思
っています。

「降りていく生き方」の第4章「しあわせは私の真下にある ー『治る』より
も豊かな回復ー」に紹介されているカンファレンスの様子はとても興味深いも
のです。
この集まりの中心は「襟裳岬に宇宙船が到着して、職場にいた片思いの女性が
それに乗船して、宇宙旅行に行こうという誘いの幻聴をうけている」という患
者でした。メンバーたちはこの患者にいろいろな質問をしたり、自分の幻聴体
験を話したりしながら、時には腹を抱えて笑ってやりとりをしながら、何とか
思いとどまらせようとしているのです。しかし、誰も「それは幻聴が、そんな
ことはあり得ない」というようには説得していないのですね。いったん患者の
いうことを受け入れて、その話をよく聞き、患者と同じ当事者の立場に立って
考えているわけです。

「自分は病気を治せない医師です」
「治すことばかりにこだわらない医者です」
「カンファランスとは自分の助け方を学ぶのを手助けをすることである」
「この病気は友達が増える病気である」
「自分の思いや気持ちを言葉にすることが回復につながっていく」
「幻覚&妄想大会」
「医者が一生懸命やりすぎるとよくならない」
「失敗とトラブル抜きには回復しない」
「当事者性を奪われているのが、統合失調症などの精神障害を抱えた人たちで
ある」
「日本の学校教育が生徒の当事者性をいかに奪ってきていたか」
「成功を目指さないことを目指す」
「異質なものを排除しない」
「利益のないところを大切にする会社を作りたい」
「物事が順調に進むというのは危機的状況」
「すぐに手助けしないというサポートの仕方」
「弱さは価値、トラブルは恩寵」

これらの本にあった逆説的な表現そのものが「べてるの家」をよく表している
でしょう。
「これまでの中央偏重、右肩上がりの成長志向、学力重視、優勝劣敗の社会観
にもっとも痛烈なアンチテーゼを結果として突きつけているのがこの「べてる
の家」ですが、そこに暮らし働く当のメンバーたちはそんなことにおかまいな
く、「弱さ」を絆とすることによってささやかなしかし実り豊かな人生をこれ
からも送り続けていくでしょう。」
 これこそ「もうひとつの生き方」なのでしょう。